AIRJAM OFFICIAL SPECIAL INTERVIEW
難波章浩 × ヒカル
Hi-STANDARDとAIR JAMをめぐる、初めての対談
前編
Interview: Toshiya Ohno
Hi-STANDARDの難波章浩と、BOUNTY HUNTERのヒカル。
二人の交流は、Hi-STANDARDの活動初期、’93年まで遡る。それから30年以上。『PUNK ROCK TV』での取材を始め、’90年代の日本のシーンから、Hi-STANDARDの海外ツアーまで、それぞれの場所から同じ時代を歩んできた二人。
出会った頃のこと、当時の音楽やカルチャー、そして世界へと活動を広げていったHi-STANDARD。前編では、二人の記憶をたどりながら、その時代を振り返る。
二人の一番最初の出会い
難波章浩ちゃんと対談するの、初めてじゃないですか。
ヒカルだって前は、『PUNK ROCK TV』で押しかけインタビューみたいなヤツばっかだったから。ロフトとかに行って。
―一番最初の出会いは覚えてる?
ヒカル俺は覚えてるよ。レザーフェイスが来日した時に、観に行ったの(注:1993年10月)。
難波章浩クラブクアトロですね。

ヒカル「えっ、日本にも、こういうバンドあるの?」と思って。で、メンバーのギターの髪の毛の長い人が来たから、「ねえ、何てバンドなの?」って聞いたら、「Hi-STANDARD」って言って。それが最初。
難波章浩えーっ、あれが初だったんですか。
ヒカルそう。だから大騒ぎしたんだ。まだスナッフとか、そういう新しいバンドを聴き始めの頃だったから。日本にもそういうバンドがいるのが衝撃だった。
難波章浩俺的にも、一番最初の外タレの対バンはレザーフェイスなんじゃないかな。
ヒカルまだ音源とかも出てなかった時だと思う。
―コンピに参加した後、Snuffy Smileから7インチを出してたのは、’94年だね。
難波章浩じゃあ、栄森さん(Snuffy Smileの主宰者、栄森陽一)だったんですね。
ヒカルだって、その栄森さんがレザーフェイスを日本に呼んだんだよ。俺も栄森さんに会って、こっちのバンドを広げられたんだもん。栄森さんが大貫さん(大貫憲章)のラジオに出て、それでいろんなのをかけて、それで全部知ったんだ。
難波章浩うわあ、そこは栄森さんがつないでくれたようなもんですね。あの日とにかく覚えてるのは、フランキー(ヴォーカル、ギターのフランキー・スタッブス)がまず酔っ払ってて。もうベロベロで、床で寝ちゃってたんですよ。うわ、レザーフェイスってこういう感じなんだ?!って。
ヒカルレザーフェイスはカッコ良かったよ。
難波章浩当時、スナッフとレザーフェイスって、二大巨頭だったんですよ。
ヒカル確かに。でも、俺もよっぽどだと思うよ。だって、メンバーの人にさ、「何てバンド?」って聞きに行くほどだから。
難波章浩いや、本当ですね。でも、僕はロンナイ(注:大貫憲章が主宰するLONDON NITE)にはけっこう遊びに行ってたんですよ。ヒカルくんはあんまり話してくれなかったんですけどね。大貫さんは話せたんですけど。
ヒカルパンクスだからとんがってたんじゃない?
難波章浩やっぱり、ロンナイの人たちはとんがってるんで。
ヒカルでも、本当にスナッフとレザーフェイスは衝撃的だったし、超好きだった。
難波章浩まあ、僕らにとってのメロディック・パンクのスタートはそこですよね。NOFXはちょっと後なんで。
ヒカルもう全然そっち。最初はスナッフがヤバすぎた。
難波章浩スナッフと友達っていうので、レザーフェイスを知ったんですよ。ハードオンズにも影響されましたよ。レザーフェイスは今も現役ですからね。
ヒカルいや、だから、俺言おうと思ってたんだけど、何でAIR JAMにレザーフェイスを呼ばねえんだよと思って。今、フランキーはあまりレザーフェイスの活動してないよね。ギターの人が亡くなっちゃったから。アコースティックでやってるんだけど、「それじゃねえぞ」って。
難波章浩スナッフ、レザーフェイスとハイスタ、やりたいな。
ヒカルそう。早くしないと亡くなっちゃうじゃん。
―二人が話すようになったタイミングは覚えてる?
ヒカル前から普通にしゃべってたよね。最初からいきなり仲良かったと思う。だって俺、カッコいいものにはすぐワーって行くじゃん。ハイスタはカッコ良かったから。
難波章浩「ヤバい、ヤバい」って言ってくれてたのは覚えてるんですよ。
初期の思い出
―何か、初期の思い出深い話とかはあります?
ヒカル思い出っていうと、今着てるこのTシャツかな。ちょうどハイスタが事務所を借りた時に、PUNK ROCK TVで取材に行こうぜってなったの。行ったら、普通の家みたいなところで。もうそれがもうびっくりで。でも、なんちゃんはいなかったんだよね。健ちゃんはいて。その時にこのTシャツがあって。当時のハイスタって、白のTシャツしかなかったの。で、俺は白を着なかったじゃん。「うわ、黒もあるじゃん」って。それでずっと着てて。その後も、黒のTシャツはあんまりないから。一応、これはハイスタの時の俺の冠婚葬祭用Tシャツになってるのね。
難波章浩まだ持っててくれるんですね。
ヒカルAIR JAMのゲネプロをさ、渋谷で一回やったよね。その時もこれを着てたし。AIR JAMの時もこれを着てたし。
難波章浩去年のFEVERの時もね。
ヒカルそう、全部着てた。
難波章浩必ずこれを着てくれてるんですよ。
ヒカルでも、これ持ってる人はあんまりいないんですよ。マニアの人がいっぱいいるじゃん。その人たちも探してるけど、これはないって言ってる。何でだろう?
難波章浩今回のAIR JAMで復刻すれば良かったですね。でも、今回ヒカルくんにデザインを頼んだら、「降りてきたんだよ」って連絡があって。
ヒカルハイスタは最初から見てるし、知ってるから。
難波章浩レザーフェイスで会った時、ヒカルくんは何をやってたの?
ヒカル大貫さんの運転手。DJもやってたし。大貫さんのラジオ番組の手伝いとか。当時はまだCDじゃなくてレコード盤だったから、レコードの曲の時間を測って、何曲目で、イントロ何秒で、フェードアウトとか、そういうのを全部書く仕事をしてた。それをやってから、ラジオ局に行って、いろいろかけるんだけど、その時にいろいろレコード会社の人が来るから、みんなとはそこで仲良くなって。で、これは全然関係ない話なんだけど……。
「AIR JAM ‘97にDJ出演した時のヒカル」
Photo by Toshiya Ohno / Utsurundesu
難波章浩関係ない話が一番面白い(笑)。
ヒカルラジオの業界の中で、ヒカルが騒いだものは当たる、みたいな伝説ができちゃったんですよ。一番最初に業界の中でニルヴァーナをいいって言ったのは俺だったらしくて。ニルヴァーナは「Smells Like Teen Spirit」のビデオが、大貫さんのところにレコード会社から送られてきたの。で、俺はパンクスだから、普通のメジャーから出てるのはどうかな?!って感じでビデオを観てたんだけど、客の中でバッド・ブレインズのTシャツを着てるヤツがいて。これは聴いていいヤツだと思って、ゴーンって推したんだよ。それが最初。で、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンも一番最初に推したのが、俺だったらしくて。
難波章浩へえ。
ヒカルで、大貫さんのラジオで、月に一回、「ヒカルのどパンク魂」ってコーナーがあって。そこでスナッフ、レザーフェイス、バッド・レリジョン、ペニーワイズ、Epitaphのバンドとかをヤバい、ヤバいって、どんどんどんどんかけてた。そしたら、ソニーのジャック天野さんが会社でプレゼンして、「ヒカルが騒いでるから、Epitaphを獲った方がいいよ」みたいな話になったらしくて。それでEpitaphを獲ったんだって。
難波章浩それ、めちゃくちゃ今で言うインフルエンサーですね。やっぱり、ヒカルくんがカルチャーを作っちゃったわけですね。
ヒカルいや、俺じゃないけど。あと、Pegboyとかもかけてたよ。俺、マジで好きなの、Naked RaygunよりもPegboyが。
難波章浩Lookoutのバンドとか、Screeching Weasel、Agent Orangeとか。
ヒカルAgent Orangeはイベントに出てもらった。大野さんが連れてきた。
―ヒカルくんがやってたイベント、MOSH BOYZに自分のバンドが出るはずだったんだけど、メンバーが一人出れなくて。ちょうどその日は、Agent Orangeのみんなと湘南の海で遊んでたから、代わりに出てくんない?って言ったんだよね。
難波章浩マジっすか?
ヒカルノーギャラで出てくれた。大貫さんがびっくりして、しびれちゃって。何でAgent Orangeが出てるんだ?みたいになって。今思うと、昔って適当だったよね。
難波章浩でも、そんな感じでしたよね。その時、大野さんのWARPは始まってました?
NY、LAのワープド・ツアーで観たハイスタ
―まだFineの時代。俺が覚えてるのは、WARPの’96年の創刊号で、ヒカルくんがハイスタのレポートをやってるのね。NYのConey Island Highのライヴで。あれはどういう経緯でライヴを観ることになったの?
ヒカルあれはね、ハイスタがアメリカでNo Use For A Nameとツアーを回るから、NYに取材しに行ったんだもん。それでハイスタをNYで観て、スゴいなと思って。マーフィーズ・ロウのジミーも来てたよ。ハイスタのドラムがヤバいって、ジミーが言ってた。その時のNo Use For A Nameもスゴくカッコ良くて、何か男くさかったの。俺ってほら、男らしいのが好きだから。

難波章浩キャッチーなのにね。
ヒカルで、次の日はボストンだったの。NYでバイバイって別れて、「じゃあ明日ボストンで」って言って、俺らは寝て。飛行機でボストンに行ったら、雪が降ってて。ハイスタはギリギリで遅れてて。そしたらライヴがのオープン時間に車でガーって来て、いきなり演奏しだした。それもスゴい印象的だった。
難波章浩NYではジミーも一緒に歌ってましたね。
ヒカルその前に日本に来た時、一緒にやってんだよ。
難波章浩確かに、共演してたわ。マーフィーズ・ロウのテーマをやったんだ。
ヒカルそうそう。だからそれで歌ったんだもん。
―何年か経って、2011年になんちゃんのソロのマスタリングでNYに行った時に、終わった後にジミーとバーで合流して。そこで2011年のAIR JAM出演のオファーもしたんだよね。
難波章浩そうでしたね。
ヒカルLAのワープド・ツアーでも観たよ(注:’98年の夏に全米ワープド・ツアーに出演した時)。
難波章浩そこでもPUNK ROCK TVの取材で来てくれたんですよね。
ヒカルちょっとちっちゃいステージでやってた。



難波章浩あの頃って、EpitaphとかFAT WRECKとか、西海岸のカルチャーがグワッて来てた時代じゃないですか。ワープド・ツアーも始まりぐらいで、4年目ぐらいでしたよね。
ヒカルその辺のバンドが全部出てた。でも、ハイスタは堂々としてて、アメリカ人を笑わせてたからスゴいなと思って。びっくりしちゃった。
難波章浩「ドギースタイル」って言うと笑うんですよ。笑わせると何か開くんだなと思って。健くんとね、とにかく笑わせようってなってた。
ヒカル初めて観る人が多かったから、その人たちが惹きつけられてくのがわかるんだよね。それがスゴいなと思って。
難波章浩みんな、日本のパンク・バンドなんか観たことがないんで。
―あの時、ピットにいる子たちに聞いたんだよね。ハイスタのどこがいい?って。そしたら、FATのコンピで知ってるから楽しみにしてたとか、バンドの演奏がカッコいいとか、そういう話になってた。
難波章浩とにかく僕らが日本人であることは、大きな特徴だったんで。あそこで日本人がパンクロックをやるのって、とにかく初めての体験なわけですよ。そこで僕らがふざけて、ジョークを言いまくると、心を開くんですよね。そこから思いっきり演奏すると、入ってくるんですよ。
ヒカル俺も何か鼻が高かったもん。日本人として。
難波章浩「CALIFORNIA DREAMIN’」をやった時は盛り上がった。日本人がやるっていう、そのギャップもまたわけわかんなかったですよね。
ヒカルあれはスゴかったもん。何で「CALIFORNIA DREAMIN’」をやろうと思ったの?
難波章浩何なんですかね。まあでも、カリフォルニアに憧れてたからじゃないですか。
ヒカルあと、当時カバーやる時、カッコいい曲を選んでたよね。
難波章浩カバーをやってるバンド、あんまりいなかったんですよ。NOFXもやってなかったし。カバーやるっていうのは、あれから流行ったんですよ。
ヒカル確かに。けっこうハイスタが走りかもね。
難波章浩走りかもしれないですよ。
―ワープド・ツアーの時、メタルの名曲のリフを弾いた時に、バウンサーが笑顔になって、「おまえらいいぞ」みたいな感じで、親指を立ててたのも覚えてるな。
難波章浩そう、あれでバウンサーの心もつかんだなと思って。だから今思うと、当時のあのシーン、あのカルチャーの大きな波を受け止めてたのは僕たちですよ。

GOODS
AJ_B×H HIKARU T-shirt ¥4,000円(税込)
ヒカルがデザインを手がけた、AIR JAM 2026 オフィシャルTシャツ
2026年10月9日(金)15:00から販売予定
https://airjam-store.com

難波章浩
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